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Paris

メトロが、セーヌ川にかかるビルアケム橋をわたる。
目の前に夕日に輝く大きなエッフェル塔があらわれる。

東洋系の観光客のカップルが、ちいさく歓声をあげ、
男の子のほうがカバンから急いでカメラをとりだそうとする。

今日、とてもつらいことがあった。人生でいちばんかもしれない。
たまらず夫に電話したが、今日はどうしても早く帰れない、と言っていた。

「暗く考えるのはよくない、こんな目に合うのはあなただけじゃない、
これも試練のひとつ、いまあなたがもっているものに感謝しなければ....」
どんな励ましも、慰めも、ポジティブな意見も、なにも聞きたくない。

勝手で、成長してなくて、考えが狭くて、自己中心的だ、と言われても全然かまわない。
どうしてわたしだけ、ふつうに、かんたんに、人生を送れないのだろう。

ふつうに暮らしているひとが、みんなうらめしくみえる。
目の前の東洋人のカップルも、家族連れも、ビジネスマンも。

きらきらしたものすべてが、みんなうらめしくみえる。
きらきらしたものを見せようとするひとすべてが、みんなうらめしくみえる。

メトロを降りて、アパルトマンの部屋に帰る途中、老夫婦がやっているビストロの前を通る。
とても地味で、観光客なんてまちがっても入ってこない。
地味なおじさんが多くて、なぜか、とても落ち着く。
でも今日は、そこに寄る気にもなれない。なにも食べたくない。

部屋にかえって、服をきがえて、すぐにベッドにもぐりこんだ。
こんなつらいに日に、そばにいてくれない夫もうらめしかった。

夜おそく、夫が帰ってきた。
わたしは、ベッドで背をむけていた。
こんな日に、夫はわたしになんて声をかけるんだろう。

夫が近づいてくる気配がした。
そのまま、彼はわたしのあたまをくしゃくしゃと、なでた。

ずるい。涙が出た。

明日は、と思った。
早起きして、ちょっと遠いあのおいしいパン屋さんに行って、
ふかふかの、あつあつの、あのおいしいパンを夫と食べよう。そうしよう。
お祈りするように、思った。



Paris
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by ayu_livre | 2009-12-20 09:04

Salzburg

ベッドサイドのテーブルにおいてあるiBookを起動させる。
さっきまで、下のダイニングで息子夫婦と妻が私の誕生日を祝ってくれていた。
妻は、隣で、ポール・ボールズが書いた地中海紀行を読んでいる。
外では、ザルツアッハ河を渡ってきた十二月の冷たい風が、夜の木々を騒がせている。

郵便局員として働き出して三十年目にあたる昨年の十一月、
息子夫婦がわたしに、iBookをプレゼントしてくれた。
それから一年経ち、私のブックマークには、
私の好きなRolling Stonesのサイトがつらなり、
メールのアドレス帳には、年がいもなく参加したBBSで知り合った
世界中のStonesファンのアドレスが並んだ。

なぜか、しばしばメールをくれる十九歳の女の子からメールが届いていた。
彼女はサンディエゴのダイナーでウエイトレスをしている。


 HAPPY BIRTHDAY!!!!!!!
 クリスマスの直前にバースデイなんてゴージャスですね。
 今日、うちのお店は、七十歳以上の老人が集まる『シルバーハワイアンクラブ』の
 クリスマスパーティで貸し切りでした。
 老人たちは、二時間以上も大音量のハワイアンで入れ代わりたちかわり踊り続け、
 いい加減に頭が痛くなってきたので、こっそり音楽を
 Stonesの 〈Honky Tonk Women〉に変えて流すと、そのまま
〈Honky Tonk Women〉に合わせてフラを踊っていました。
 では、これからも、この人たちみたいにお元気で。



メールには、MPEGの画像ファイルが添付されていて、開けてみると
手ぶれする画面の中で、ゆったりとして着心地の良さそうな服を着た老人達が
本当に、 〈Honky Tonk Women〉に合わせて幸せそうに踊っていた。


 天国から届いた映像のようです。ありがとう。


とお礼を送信してiBookを閉じた。


本を持ったまま眠ってしまっている妻の手から本を取り、
妻のサイドテーブルの灯りを消す。
ベッドに入り、妻に、それから息子夫婦に、そしてサンディエゴの女の子に、
感謝の言葉を声には出さずに言ってから目を閉じた。



Salzburg
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by ayu_livre | 2009-12-20 09:01