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transit

shiena

十二時十五分の列車を待っている。
プラットホームにはヒバリの鳴き声だけが聞こえる。

ローマの大学で知り合った友人の実家に
今年も二泊お世話になった。

友人の家は、シエナから10㎞ほど離れた丘陵にあり、
彼と彼の両親は、いわゆるアグリツーリズモの看板を掲げ、
古い酒蔵を改修して旅行者を宿泊させている。

友人とは、芸術論のクラスで仲良くなった。
ある日、フェリーニを扱った講義の後、
バールで、苦いエスプレッソを飲みながら彼が言ったことを覚えている。
「フェリーニの一本っていったら、俺は、アマルコンドだな。
 あの綿毛がキラキラ舞う結婚式のシーンは最高だよ。
 実際にあんな結婚式に居合わせることがなかったとしても、
 アマルコンドを観たひとは、まるで自分の人生にいい思い出が
 できたように感じるんじゃないかな」

大学卒業間近に彼の父親がワイン棚から落ちて、大怪我をすると
彼は、あっさりと大学を辞め、実家のアグリツーリズモを手伝いはじめた。

ミラノの映画評論を専門にしている出版社に就職してからは
毎年、春先のオフシーズンに、彼の実家に遊びに来ている。
来るたびに、極上のハウスワインをふるまわれ、
暖炉の炎を眺めながら、いろいろな話をする。

今回も、友人は、送迎用のフィアットムルティプラで駅まで送ってくれた。

ホームのベンチに座り、時計を合わせる。
いつものように「じゃ、また来年」といって
ムルティプラのドアをしめる瞬間の彼の笑顔の余韻が残っている。
来るたびに食べきれないほど手料理を出してくれるおばさんと
ニコニコしながら自慢のクラッシックレコードコレクションを
聞かせてくれるおじさんの余韻が残っている。

あたりに広がる春の冷たい空は、がらんとしている。



Shiena
# by ayu_livre | 2008-04-13 11:32

Havana

友人は、キューバ人にしては、めずらしくサルサで踊らない。
踊れないのでない。踊らないのだ。
カーサ・デ・ムジカで働いている知り合いによると
以前は、よく女の子を連れて、踊りに来ていたらしい。

旧市街の小さな公園。生い茂った樹々の木漏れ日が、木製のベンチの上で揺れている。
落ち着いた話し方の彼が、ゆっくりと煙草を吸いながら
行ったことのない国の話をするのを聞いていると、なぜか、いつも気持ちがなごむ。

「日本には、エレクトロニクス産業の研修で、何度か行ったんだ。
 もともと外国の言葉を覚えるのが好きで、英語と日本語がすこしできたから、
 よく海外研修のメンバーに選ばれてた。
 向こうに行く度にコーディネートしてくれる日本人の女の子が、
 Beny Moreのファンだったから、日本で売ってないCDを
 おみやげにあげたりしてるうちに仲良くなった。
 ある晩、なにかのパーティを彼女と抜け出して、タクシーでサクラを見に行った。
 ええと、あの場所は、チドリガフチっていったかな。
 日本の王族が暮らしている、ものすごく大きな城跡のようなところを、
 河みたいな水路が囲んでいて、そのあたり一面にサクラが咲いてるんだ。
 咲いてるっていうような、なまやさしい感じじゃないな、
 火事や空爆みたいに、あたり一帯に信じられない大きな事件が起きてる感じだった。
 しかもそれが静かで、とてつもなくきれいなんだ。なんだか気が狂いそうになったよ」

向いのベンチでは、お腹の大きな女が、のんびりと本を読んでる、
チドリガフチのサクラのことを想像してみる。彼が続けた。

「サクラの下に腰掛けて、彼女は、来月結婚するって話しだした。
 おれは、ずっとサクラを見上げてた。
 彼女は、夜の空いっぱいにひろがるサクラを見上げながら
 止まってる雪みたいねって言ったんだ。
 雪って本物を見たことないけど、こんな感じなのかな、って思ったよ」

アンボス・ムンドスのカフェテリアから、ピアノとフルートの演奏が聞こえてくる。
彼は、それを聞いて思い出したように付け加えた。
「ひとりでタクシーをひろって、ホテルへ帰る途中、ラジオでBeatlesの〈Girl〉
っていう曲がかかってた。ため息みたいな曲だな、と思ったな」
それから二人、それぞれ黙って煙草を吸いながら、〈Girl〉という曲のことを考えた。


Havana

# by ayu_livre | 2008-03-09 14:29

Arezzo


よく、イタリア人は家族主義、と言われるが、おそらく兄には当てはまらない。
トリノの大学に行っている時は、まだよかった。
一年に一回、クリスマスには、アレッツォの実家に帰ってきてたからだ。
それが、トリノの貿易商社に勤め出してからは、
しだいに帰省のインターバルがあき、この前、兄が帰ってきたのは
叔父の葬儀の時で、五年ぶりだった。
兄が、ひさしぶりに帰ってきてまず関心をもったのは、
僕が中古で買ったJaguar XKRというスポーツカーだった。
「すごいかたちだな、なんだよ、これは」
「英語でいうとこのろのspritだよ、僕の」と答えると、笑いもせずに兄が言った。
「spritが、汚れてるじゃないか」

それからほどなくして母が持病の心臓病で入院し、
病状が深刻になっても、兄はなかなか帰ってこなかった。
二度目の大きな発作のあと、さすがに心配になって、
顔を見せに来てくれるように電話した。
兄は、短く「わかった」と言って電話を切った。

二月の冷え込むある晩、母は三度目の発作を起こしたが、なんとかのりこえた。
母のとなりの簡易ベッドに腰掛けたまま、眠ってしまったらしい。
ふと目を覚ますと、スーツ姿の兄が僕の横に腰掛けて眠っている。
兄を簡易ベッドに寝かせ、毛布をかけてやってから、
ダウンジャケットをはおり、病院の外へ出る。

鋭い冷気の中で夜が明けようとしている。

病院の駐車場にとめてあるJaguar XKRのところに行きかけて足が止まった。
隣にXKRの屋根が開くタイプのConvertibleがとまっている。
兄のものだと直感した。

なるほどね、と僕はすべてがわかった気がして可笑しくなる。
あの兄が、ただ黙って、妻と子供二人をかかえ、大企業の中で、
貧相な人間といっしょに、毎日の仕事だけをこなすなんてできるわけがないのだ。
僕は少し安心する。

二月の美しい朝日が昇りはじめ、
二台の少し汚れたspritを、焼け付くような赤で染め上げる。





Arezzo






# by ayu_livre | 2008-02-24 01:09

San Francisco

よく晴れた二月の水曜日、鋪道に残った雪が、
午前の空気をいっそうピカピカに磨きあげている。
ダウンタウンのスターバックスコーヒー。
南側の陽のあたるテーブルで
母親と小さな男の子が並んで本を読んでいる。

先程、 ふたりは、2ブロック先に新しくできた
3階建てのブックストアで、お気に入りの本を仕入れてきたばかり。

母親が買ったのは、メキシコの建築家ルイス・バラカンの小さなサイズの写真集。
男の子が買ったのは、CG映画「モンスターズ・インク」のストーリーブック。
ふたりは、Art Farmerのかかるあたたかな店内で
キャラメルマッキャートのMサイズとSサイズを飲みながら
ゆっくりとページをめくっている。

編集の仕事をしている母親は、
朝、 なんだか急に休みたくなって職場に電話を入れた。
ちょうど仕事の谷間だったので、細かな用件だけ部下に頼んだ。
眠そうな顔で、シリアルをたべている息子に
「今日学校休めないの?」と聞くと
「休めるよ」というので、ふたりで出かけることした。

本をひとおおり読み終えると、ふたりは、
これから、どこに行こうか話し合った。

男の子が、飛行機が見たい、というので
ok、サンフランシスコ空港までドライブしょう、と母親が言って席を立った。

フリーウェイを フォードフォーカスで走しりながら、
ふたりは、Princeのアコースティックアルバムを聞いていた。
おおらかなメロディとキラキラとしたアコースティックギターが、
あたたかな二月の車内を満たした。

男の子が、飛行機を見たらジャパンタウンのヤキニクに行こうよ、と提案した。

日ざしはすっかり高くなり、
街に戻る頃にはもう雪はなくなっているだろうな、と母親は思った。




San Francisco

# by ayu_livre | 2008-02-11 10:27

Istanbul

イスタンブール、新市街の高台にある部屋の窓を開ける。
キンと鋭利な冬の夜の空気。
はるか眼下のボスポラス海峡や旧市街からわきたつ喧噪。
旧市街と新市街をつなぐ、ガラタ橋を移動する小さな光の粒を眺める。

2年間のイスタンブール支局転属が決まったのが、ちょうど今頃。
夫は、2年だけだろ、と、理解してくれたものの、かなり気が重たかった。
イスタンブール支局のあまりいい噂は聞いていなかったし、
なにより、当時いたロンドンの職場や仕事に
かなり居心地のよさを感じていたからだ。

この部屋に着いた日の夜、夫と国際電話で話していて、
夫が最後に「じゃあね」、と言った時、
なんだか泣きそうになってびっくりした。
自分ってかなり弱くて、かなり夫に頼ってたんだな、と思い知った。
眼下で美しく輝くのが、イスタンブールだろうが、ガラタ橋だろうが、
ブルーモスクだろうか、それが、美しければ美しいほど、うらめしかった。

そして、2年がたち、明日、ここを離れロンドンに帰る。
ロンドンに帰る、と考えた時、まっさきに思い浮かんだのは、
夫や、夫のコートの匂いや、ふたりで暮らす部屋の
スチームヒーターの匂いではなかった。
毎朝、ジョギングしていたハイドパークの緑や空気だった。
また、あそこを私は毎朝、走るんだろうか、と思った。

この2年の間に、いろいろなことがあった。

はじめて、ここに着いて、眼下の美しく光るガラタ橋をうらめしく眺めた時、
まさか1年後に、とても仲良くなった男のひとと、
早朝、その橋をゆっくり親密にならんで歩いているなんて思いもしなかった。

あの日は、いつにも増して霧が濃い朝だった。
ガラタ橋には、もう釣り人がたくさん来ていて、
橋にそって、たくさんの釣り竿がアーチを描いて連なっていた。
やがて、あたりが明るくなり、霧が少し晴れてくると、
連なる釣り竿のアーチの向こうに、ぼんやりとブルーモスクがあらわれた。

幻想的だな、と思った。
風景がではなく、生きてることが。

夫は、電話で、「明日、ヒースロー空港まで迎えに行くよ」と言ってくれた。
夫は相変わらず、「じゃあね」と言って電話を切った。
眼下にまばゆく幻想的なイスタンブールの街が広がっている。




Istanbul
# by ayu_livre | 2008-01-21 01:16