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Fontaine de Vaucluse

輝く緑の冷たい水。
僕がフォンティーヌ・ボークリューズのことを思い出すとき、
まっ先に思い浮かぶのはあの水のことだ。
わきでたばかりのすきとおった水が、
浅い川底の鮮やかな緑の苔を映し、木漏れ日にきらきら輝く。
手を入れると、真夏でもそれはそれは冷たい。

僕がフォンティーヌ・ボークリューズにいた頃、
夏休みになるとどこからともなくあらわれる女の子がいた。
たぶん、おばあちゃんの家にでも遊びに来ていたんだろう。

その頃僕には、お気に入りの場所があった。
川の流れがすこしゆるくなって、大きな池のようになっているところ。
水面には木々が覆い被さり、ちょっとした隠れ家みたいだった。
置き捨てられた小さなボートを見つけてからは、
いつも、ボートを浮かべ、そこに寝転がって、一人の時間を楽しんでいた。
いろいろな木が、午後の風にいっせいに揺れる音や
鳥や虫の音を聞きながら、眠りについたり、眠りから覚めたりしていた。

ある日、女の子が、その場所にあらわれた。
僕たちは、なぜかすぐになかよくなり、
ボートを浮かべては、そこでたくさんの時間をすごした。
女の子はよく摘んできた花を飾ったり、冷たい水面を手のひらでなぜたりしていた。
僕はボートで飼おうと思って連れてきたカブトムシを女の子に嫌がられたりしていた。
いまでも、川岸から古いボートを、すうっと水に浮かべて、
それに乗り込む時のワクワクする感じを覚えている。

女の子は毎年、突然いなくなった。
僕もいつ帰るのか、いつも聞かなかった。
そういえば、どこに住んでるのかとか、名前すら聞いたことがなかったかもしれない。

ある年の夏休みを最後に、女の子は姿を見せなくなった。

僕は毎日ボートを浮かべて、また一人の時間を過ごした。
輝く緑の冷たい水の、その水面を、
女の子の白い手がゆっくりとなぜているのを
壊れた機械のように何度も思い出しながら。




Fontaine de Vaucluse

by ayu_livre | 2007-05-16 21:18