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Kuala Lumpur

クアラルンプールは、どんよりと曇っている。
フォーシーズンズホテルのロータリーで、メルセデスをアイドリングさせながら
上層階が重たい雲に隠れたペトロナス・ツインタワーを眺めている。

その島までは、クアラルンプールから車で三時間、船に乗り換えて一時間かかる。
島一つをまるごと買い上げたホテルは、クアラルンプールからの送迎を
メルセデスで行なっている。
日本人のカップルは、ホテルに迎えに来たメルセデスを見て、たいてい歓声をあげる。

サングラスをかけた背の高い東洋人の女が、ドアマンと一緒にこちらに歩いて来た。
あわてて車を降りて、トランクを開ける。
なんだか、神経質そうで、これからの三時間のことを考えると気が重たくなった。

クアラルンプール郊外にある日本車の工場から転職したのが二十二の時だから、
送迎ドライバーの仕事は、もう五年になる。
メルセデスは古い型だが、この車を運転するのは大好きだ。
連続するゆるいカーブにあわせて、ゆっくりとステアリングをきっているときなど
気持ちよく水面をすべる船を動かしているような気分になる。
乗客のことは、いつもほとんど気にならない。
メルセデスとの関係性を往復六時間の間、じっくりと味わう。

ライスフィールドをまっすぐにつらぬくハイウェイを降りて
両側にパームツーリーのうっそうとした森がひろがる細い田舎道に入るまで、
その間二時間、女は、まったくしゃべらなかった。
サングラスをかけ、背筋をのばし、窓に流れる景色をずっと眺めていた。

しばらくして、激しいスコールに突入した。
ふいに女は、一枚のCDの鞄から取り出して、こちらに差し出した。
「LISNING?」と一応聞いてから、CDをかけた。
〈Nat King Cole BALLADS〉と書かれたジャケットには、
ハンサムな黒人がピアノの前ではにかんでいる。

やがて、胸を締めつけられるようなオーケストラのイントロが流れ、
夢のようなボーカルがスローな曲を歌い出した。
両側に広がるパームツーリーの森を、かすませてしまうスコールが、
メルセデスのルーフを激しく打つ。
ワイパーを強め、〈Nat King Cole BALLADS〉のボリュームを上げる。










Kuala Lumpur

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by ayu_livre | 2007-07-13 09:31